アドリブはその場の思いつきではない

前回書いたとおり、これから日本語教師になりたい人の手伝いをしています。

今日は教案のことについて。

これは教師向けの書籍などでよく見られますが、教師になる前の人、教師ビギナーの人には授業の教案をできるだけ細かく書くように指導しています。

 

教師と学習者のやりとりをできる限り詳細に書き出してもらいます。それはドラマの台本のような感じです。

 

それでもそのとおりにしてもらえないことが結構多いのです。

「この部分はアドリブで」と書いてあることも。

そうして実際に模擬授業をしてもらうと、うまく行きません。

 

アドリブといえば音楽のセッションなどが思い浮かびますが、即興でなぜ不快な音の組み合わせにならないか、当然ですがそのプレイヤーたちは音楽の基礎がきちんとできています。

この進行なら次はこの展開、といったことが体に染みついていて、楽器を自由に操ることができます。

 

初めて楽器を触る人たちにそれができるでしょうか。

 

日本語を教えるときも同じです。

基礎がまだできあがっていないうちは、想像できる限りの展開を教案に書き出し、その中のどれかを使って授業をすることになりそうだ、という綿密な準備をする必要があります。

 

そうやって授業に臨みます。

同じ学習内容でも学習者が変われば全く同じ授業になることはまずありませんから、いろいろな展開を体験して、教師自身の体にしっかり染み込ませて基礎を作っていきましょう。

 

アドリブはその先にあります。